はじめに
数学において、ベクトルは空間内の点や大きさと方向を持つ量として扱われます。しかし、ベクトルという概念は有限次元の空間に限らず、無限次元の空間にも拡張できます。その無限次元空間におけるベクトルとして「関数」を捉えることで、解析学や物理学における多くの問題を統一的に理解することが可能になります。
本記事では、関数を無限次元のベクトルと見なす考え方を紹介し、その結果としてどのような理論が展開できるのかを概観します。特に、ヒルベルト空間や関数解析と呼ばれる分野の基礎的な部分に焦点を当てます。
無限次元ベクトル空間としての関数空間
まず、ベクトル空間の定義を思い出してみましょう。ベクトル空間は、以下のような演算が定義された集合です。
- ベクトル同士の加法: 任意のベクトル \(\mathbf{u}\), \(\mathbf{v}\) に対して、\(\mathbf{u} + \mathbf{v}\) が定義される。
- スカラー倍: 任意のスカラー \(a\) とベクトル \(\mathbf{v}\) に対して、\(a\mathbf{v}\) が定義される。
これらの演算がベクトル空間の公理を満たすとき、その集合はベクトル空間となります。
関数の集合も、これらの演算を適切に定義することでベクトル空間として扱うことができます。例えば、区間 \([a, b]\) 上で定義された実数値連続関数全体の集合を考えます。2つの関数 \(f(x)\), \(g(x)\) に対して、
$$ (f + g)(x) = f(x) + g(x), \quad (af)(x) = a f(x) $$
と定義すれば、これらの関数の集合はベクトル空間となります。しかし、関数の値は無限に存在するため、このベクトル空間は無限次元となります。
内積とヒルベルト空間
ベクトル空間に内積を導入すると、幾何学的な概念である「長さ」や「角度」を定義できます。関数空間においても内積を適切に定義することで、これらの概念を導入できます。
例えば、区間 \([a, b]\) 上の二乗可積分な関数(つまり、\(\int_a^b \left| f(x) \right|^2 \, dx < \infty\))全体の集合 \(L^2(a, b)\) を考えます。この集合に対して、次のように内積を定義します。
$$ \langle f, g \rangle = \int_a^b f(x) \overline{g(x)} \, dx $$
ここで、\(\overline{g(x)}\) は \(g(x)\) の複素共役です。この内積により、\(L^2(a, b)\) はヒルベルト空間になります。ヒルベルト空間とは、完備な内積空間のことです。完備性とは、空間内のコーシー列が収束先を持つことを意味します。
関数系の展開とフーリエ解析
ヒルベルト空間では、正規直交基底を用いて任意の要素を展開することが可能です。有限次元のユークリッド空間での基底展開と同様の考え方が適用できます。
具体的な例として、周期関数の空間 \(L^2(0, 2\pi)\) を考えます。この空間では、次のような三角関数が正規直交基底を形成します。
$$ \phi_n(x) = \frac{1}{\sqrt{2\pi}} e^{i n x}, \quad n = 0, \pm1, \pm2, \dots $$
任意の関数 \(f(x) \in L^2(0, 2\pi)\) は、この基底を用いて次のように展開できます。
$$ f(x) = \sum_{n=-\infty}^\infty c_n \phi_n(x) $$
係数 \(c_n\) は内積を用いて以下のように計算されます。
$$ c_n = \langle f, \phi_n \rangle = \int_0^{2\pi} f(x) \overline{\phi_n(x)} \, dx $$
これはフーリエ級数展開そのものです。関数を無限次元のヒルベルト空間のベクトルとして扱うことで、フーリエ解析がベクトル解析の一般化として理解できます。
作用素とスペクトル理論
ベクトル空間上の線形写像は、線形作用素と呼ばれます。無限次元の場合、線形作用素の固有値や固有関数を調べることで、関数の微分方程式の解を求めるなどの応用が可能になります。
例えば、微分作用素 \(D = \frac{d}{dx}\) を考えます。この作用素を適切な関数空間上で定義し、そのスペクトル(固有値の集合)を調べることでシュレディンガー方程式や波動方程式など、物理学における重要な問題を解析することができます。
スペクトル理論は、無限次元の線形作用素の固有値問題を扱う理論であり、量子力学や信号処理など、多岐にわたる分野で重要な役割を果たしています。
再生核ヒルベルト空間と機械学習への応用
関数をベクトルとして扱う理論は、機械学習の分野にも応用されています。特に、再生核ヒルベルト空間(RKHS)と呼ばれる特殊なヒルベルト空間は、カーネル法を用いた機械学習アルゴリズムの理論的な基盤となっています。
RKHS では、関数同士の内積がカーネル関数によって定義されます。これにより、高次元の特徴量空間での計算を効率的に行うことができます。サポートベクターマシン(SVM)やガウシアンプロセスなどのアルゴリズムがその代表例です。
まとめ
- 関数を無限次元のベクトルとして捉えることで、解析学や物理学の問題を統一的に扱うことができる。
- ヒルベルト空間の概念を導入することで、関数空間における長さや角度、正規直交基底などの幾何学的な概念を適用できる。
- フーリエ解析やスペクトル理論は、関数をベクトルとして扱うことで理解が深まり、応用範囲も広がる。
- 機械学習におけるカーネル法など、現代の技術にも関数解析の理論が応用されている。
関数を無限次元のベクトルと見なす視点は、数学の深遠な世界への扉を開きます。この考え方を通じて、より高度な数学や物理学の理論を理解し、新たな応用を見出すことができるでしょう。ぜひ、この機会に関数解析の世界に足を踏み入れてみてください。